総合内科的視点の習得で、内科医としての安定した土台作りを
練馬光が丘病院 副病院長新井 雅裕
指導医インタビュー
このページに掲載されている情報は2019年10月31日取材当時のものです
横須賀市立うわまち病院 集中治療部/部長
牧野 淳1999年に長崎大学医学部を卒業、千葉大学病院および成田赤十字病院で内科初期研修、都立駒込病院で内科後期研修を修了した後に、2003年に都立墨東病院救命救急センターへ入職。救急医療に5年間従事した後に、卒後臨床教育のノウハウを学ぶべく2009年に渡米。ニューヨークで過ごした7年間に総合内科、集中治療、感染症の臨床研修を行い2016年に帰国、自治医大さいたま医療センターへ入職。2017年に現職の横須賀市立うわまち病院へ異動、集中治療部を起点にこれまで培ってきた医学知識や組織運営に関する知識を生かして、集中治療を始め救急から総合内科に至るまで幅広い診療をできる総合診療医の育成に取り組んでいる。
私が医学部を卒業した当時はまだ、“研究が本業で臨床は生活の糧のため”という風潮が強い時代でした。例に漏れず私も医局へ入局し、将来は研究者になることを信じて疑いませんでした。
初期臨床研修も半年が過ぎた頃、当時では珍しく市中病院で臨床研修をしていた大学時代の親友と話す機会がありました。彼は臨床医学の魅力を蕩々と語り、私も始めはその話を半信半疑で聞いていました。ところが、目を輝かせて語る親友の話を聞いているうちに、次第に臨床医学がとても魅力的なものに見えてきました。話が終わる頃にはこのままだと自分は一生臨床医学の楽しさを味わえないかもしれないという強い焦りへと変わり、医局へ希望を出して翌年から成田赤十字病院で研修をすることになりました。
急性期病院のためとても忙しい毎日でしたが、救急、外来診療を始め入院診療、超音波や内視鏡の検査手技など全てが新鮮なことばかりでした。素晴らしい上司達との出会いもあり内科医としての土台を築くことができた2年間でしたが、初期研修が終わる頃には大学医局へ戻り研究を始めることへの迷いが生じていました。研究者だった父親を目指して同じ医局に入ったものの、「一度研究を始めるとせっかく身につけた臨床能力が失われてしまうのではないか?」という懸念が生じ、何よりも、せっかく覚えた臨床医学のオモシロさから離れるのは辛いことでした。迷った末に、父親とは異なる臨床医としての道を選択することにしました。
内科のサブスペシャリティとしては、臓器に特化せず軽症から重症まで何でも診られる一般内科医になりたいという思いがありましたが、当時はまだ総合内科や感染症内科が一般的ではなく、最も近いサブスペシャリティとして考えられたのが血液内科でした。医局長に相談したところ関連施設である都立駒込病院を紹介され、都立病院試験を経て血液内科の後期研修医となりました。
更なる飛躍を誓って始めた後期研修でしたが、その生活は想像以上に過酷なものでした。化学療法や放射線療法、造血幹細胞移植など高度な専門知識や技術の習得に追われる一方、集学的治療にもかかわらず多くの若い患者さん達が命を落としていく姿を目の当たりにして心身共に弱っていきました。上司との折り合いも悪く、半年が過ぎる頃には血液内科どころか臨床研修自体続けていくのが辛くなりました。幸い、他の都立病院での短期研修が許されており、研修開始時に希望を出していた都立墨東病院救命救急センターへローテーションすることになりました。2ヶ月間という短期研修でしたが、内科系疾患だけでなくこれまでに見たことのなかった外傷や外科系疾患も多く経験することができました。息をつく間もなく忙しい毎日でしたが、皆で寝食を共にしながらチーム一丸となり救命しようとする“チーム医療”は、学生時代に仲間と没頭したボート部での生活とオーバーラップしました。また、心身共に疲れて忘れかけていた臨床医学のオモシロさを、久々に思い出し満喫することができた貴重な時間でした。そこで、このまま救命救急センターで勤務したいという思いが強くなり、2003年夏から医員として勤務することになりました。
救命救急センターでの勤務は私にとって天職でした。忙しくて眠れないということを除けば楽しいことばかりで、時が過ぎるのも忘れて全力投球をした毎日でした。しばらくして勤務に慣れてくると、同僚の中でいつの間にか上級医になっていることに気づきました。医師5年目ですでに内科系救急医のナンバー2、下には何人もの研修医がおり臨床教育をしなければいけない立場でした。これまで教わることはあっても教えることは意識せず、教える方法についてもまったくといって知識がありませんでした。元々教えることが好きで我流では教えていたものの、インターネットが今ほど発達しておらず、自分が教えている内容や方法が標準的なのかどうかすらわかりませんでした。
卒後臨床教育を十分に理解していない自分が、果たして研修医に対して教える資格があるのだろうか、変な教育をして彼らの将来を傷つけてしまったらどうしようかと悩みました。このような時に、臨床教育が進んでいる米国ではどのような教育がなされているのだろうか?という疑問が湧いてきました。実際に自分の目で見て学んでくるしかない、そんな思いから臨床留学を志しました。既に医師6年目、臨床留学をするタイミングとしては大幅に出遅れていましたが、救命センターでの勤務を続けつつ何とか米国医師国家資格(ECFMG)を取得しました。その後も紆余曲折はあったものの、医師11年目に米国での臨床留学をスタートしました。
米国臨床留学の目的は、卒後臨床教育の手法を学ぶことと、救命救急センターで再三難渋させられた感染症や集中治療の専門知識を学んでくることでした。内科研修では、これまでの内科知識が大幅にレベルアップしたのを始め、病歴や身体所見の取り方、プレゼンテーション、カルテ記載、各種カンファレンスの実践や活用、多職種との連携など多くを学びました。ロールモデルとなる上級医も多く、後輩医師や医学生への接し方や教育手法を学ぶよい経験にもなりました。集中治療と感染症の専門研修では、内科研修よりもさらに一歩踏み込んだ専門医として必要な知識や技術、プロフェッショナルとしての立ち振る舞いやキャリアについて学びました。いずれも、研修修了時までに専門医として求められる知識や技術が自然と備わるようになっており、米国の卒後臨床教育は期待に違わず素晴らしいシステムでした。2016年に帰国後は卒後臨床教育に携わるべく大学医局へ入局しましたが、経済的、家庭的な問題が生じて大学勤務を継続することが困難となりました。2017年半ばに関連施設である横須賀市立うわまち病院へ出向し、集中治療室の運営に関わることになりました。2018年に集中治療部となって集中治療フェローが加わり、2019年には医師がさらに2名増え、集中治療専門医研修認定施設となりました。2019年12月現在、医師4名と特定ケア看護師1名から成る診療チームとして活動し、主科と密に連携を取りながらセミクローズドICUを運営しています。
横須賀市立うわまち病院のICUの魅力を一言で言うと、“多職種の力が存分に発揮されたチーム医療”です。元々、看護師を始め、理学・呼吸療法士、管理栄養士、臨床工学技士、薬剤師、緩和ケア看護師など個々のモチベーションは高かったのですが、それをまとめる医師が不在でした。ここに新たに集中治療医が加わり、その実力が一気に開花したのです。彼らの提案で始められた多職種カンファレンスでは、各職種の強みを活かした活発な議論が交わされるようになりました。また、各種カンファレンスや院内セミナーなどを通じ、これまで医師主導の診療では見えなかった多角的な視点が得られるようになりました。診療の幅が広がっただけでなく、多職種の力が結集してより患者さんの期待に添える診療が提供できるようになりました。その効果もあってか、当院ではICUで治療を受けられた患者さんが退院時によく顔を出してくれており、我々ICU医療チームにとっても大きなモチベーションとなっています。
これは、かつて自分が救命救急センターで勤務していた時にチーム一丸となり救命しようとしていた“チーム医療”の精神に通じるものを感じています。今後、多職種の強みをさらに伸ばしていけるようサポートするのも集中治療医の重要な役割と考えています。
当院のICUの診療体制が整うにつれて、新たな課題も見えてきました。今後ICUをさらに発展させていくためには、入院症例数を増やしていく必要があります。そのためには、救急の受け入れ体制だけではなく、入院後の受け皿となる総合内科の診療体制も整えていかなくてはなりません。これらは一朝一夕にできることではなく、診療各科がしっかり連携、連動し全体の診療レベルアップを図っていく必要があります。当院では今年、救急科、総合内科、集中治療部からなる総合診療センターが新たに発足しました。現在、月~金曜日の昼に各科持ち回りで合同カンファレンスを開催し、教育の充実や各科間で顔の見える関係作りを目指しています。今後は、研修医が各科あるいは他施設をフレキシブルにローテーションしながら、様々な症例を経験できる体制にして行きたいと考えています。
これまでの自分のキャリアを振り返ると、一貫して臓器特化をしない内科医師を目指していたことを実感します。その精神は、まさに自治医科大学の教育ミッションである総合診療医の育成ともつながっています。こうしてみると、今現在、沼田裕一先生や藤谷茂樹先生を始め自治医大卒業生の先生方と深いつながりを持っているのも、もはや必然のことだったのかもしれません。JADECOMアカデミーでは総合診療医の育成、教育に熱心な先生方が全国に多くそろっており、素晴らしい卒後臨床教育が受けられることは間違いありません。今後、JADECOM施設間のつながりがさらに広がり教育や研究の協力体制も整ってくれば、大学に匹敵するような巨大な教育機関になっていくのではないかと信じています。JADECOMアカデミーで学んで頂き、今後我々と共に我が国の診療レベルアップを目指していきませんか?心よりお待ちしています。