総合内科的視点の習得で、内科医としての安定した土台作りを
練馬光が丘病院 副病院長新井 雅裕
修了生インタビュー指導医インタビュー
このページに掲載されている情報は2019年11月21日取材当時のものです
台東区立台東病院 総合診療科/家庭医療専門医
田邉 紗代2004年に昭和大学医学部を卒業し、同大学病院で初期研修医となる。2006年に初期研修を修了し、小児外科医となる。途中、1年間の一般外科研修も経験しながら、小児外科医として勤務。その一方で、臓器別の診療に違和感を抱きはじめ、地域医療、総合診療に興味をもつ。2012年に「地域医療のススメ」にて研修を開始。その後、2016年に家庭医療専門医を取得。現在は台東区立台東病院、老人保健施設千束にて、日々患者さんや利用者の方々と真摯に向き合いながら、育児にも奮闘している。
私は昭和大学医学部を卒業後、同大学病院で初期研修医となりました。どの科に進もうかと、悩みながら各科を回っていましたが、私が初期研修修了後に選んだのは、総合診療科ではなく小児外科でした。自身の手技が手術の成績や術後の状態に直接影響することもあり、患者さんを救うために常にスキルアップを目指している外科の先生方がとてもかっこよく見え、患者さんに真剣に向き合っていると感じたのが理由です。また、小児外科は、脳外科や心臓外科の領域を除き、いろいろな臓器の手術を行う必要があります。小児のみでなく成人も対象になることや、内科の知識も必要とすることから、その診療内容の幅広さにも惹かれました。
途中、一般病院で1年間の外科研修も経験し、小児外科医として働きながら、徐々に自身の医師としての在り方に違和感を抱くことが増えてきました。
何より、1年間の外科研修は私に大きな影響を与えました。その病院の副院長は、自身の専門に関係なく、1人で救急の患者さんをほぼ全て受け入れていたのです。それが私にとってはとても衝撃的で、価値観が大きく変化する出会いだった、と言っても過言ではありません。また、小児外科医として手術を担当する際に、小児内科医と連携をとる場面が多くありましたが、そのたびに「小児内科の先生は患者さんを来院時からずっと診ているのに、私は手術のときだけ診るなんて……。しかも手術のスキルはまだ半人前。本当にこれでいいのだろうか」と感じていたのです。また、クリニックでのアルバイトを経験した私は、そこでの患者さんと医師の距離と大学病院での患者さんと医師の距離に大きな違いを感じ、「患者さんになんでも相談してもらえる先生っていいな」と思うようになっていました。私はこのまま大学病院で小児外科医として進んでいってよいのか、という違和感や疑問が、6年間で徐々に大きくなっていたのだと思います。
今思えば、私の思い描く医師像は、小児科医の祖父や父の影響を受けていたように思います。漠然と、幅広い診療を行う総合診療や、地域のニーズに応える医療を行う地域医療に携わりたいと思うようになりました。
地域医療に関わりたいとは思ったものの、当時の私の周りには総合診療医としてのロールモデルとなるような先生がいなかったので、インターネットで「地域医療」と検索をしました。すると、地域医療振興協会(JADECOM)のウェブサイトがヒットし、そこで初めて「地域医療のススメ」というプログラムの存在を知りました。私はすぐにプログラムについて問い合わせをし、湯沢町保健医療センターの井上陽介先生との面談の機会を得ることができたのです。
面談では緊張していたので、あまり事細かには覚えていませんが、井上先生にそのときに私が感じているような違和感をお話ししたと思います。すると井上先生は「いつでも来てください」という温かい言葉をかけてくださったのです。大学病院を辞めるには勇気がいりました。しかし、「どういう医師になりたいのかがやっと分かり始めた今、行動しないと後悔する」と思い、大学院を修了するタイミングで大学病院を辞め、「地域医療のススメ」を受けることを決意しました。その後面談した台東区立台東病院の山田隆司先生には、一般外科研修で地域医療を経験したことで、そういった医療をもっとやってみたいと思うようになった、ということをお話ししました。こうして私は、2012年に総合診療医としての第一歩を踏み出しました。
私は3年間にわたって「地域医療のススメ」の研修を受けるなかで、何人もの尊敬できる先生と出会うことができました。特に、村立東海病院の薄井尊信先生からは、とても影響を受けています。薄井先生は、自身の診療の進め方に信念を持っており、どんなに忙しいときでも周囲に流されることなく、カルテはこう書かなくてはならない、患者さんの診察はこうしなければならない、と、患者さんのことを第一に考えたうえで、自身の診療スタイルを貫いていました。もっとも印象的だったのは、自身がオーダーした検査に関しては、必ず検査の場に立ち会うという姿勢でした。研修医のときには誰もが、自分が受け持った患者さんの検査に立ち会うように言われるものですが、日々の忙しさや病院の風習などにより、実際にそれを貫けている人は、そう多くはないと思います。ですが、薄井先生は外来の診療中であっても、外来の患者さんに少し待っていただいて、自分の目で検査を見届けていました。検査の結果を紙だけで見るのと、検査時の患者さんの様子を実際に自分の目で確かめるのとでは、その後の診療に生かせる情報量に違いが出てきます。患者さんのためになると思えば、こうした一見地味なことでも貫くという姿勢や、信念を持つことの重要性をその背中から教わりました。
研修も佳境に差し掛かった3年目の2014年には、横田修一先生(現・揖斐郡北西部地域医療センター 管理者・センター長)にお声掛け頂き、岐阜県の揖斐郡北西部地域医療センターで、3か月間へき地医療を経験しました。その地域では、町の病院に出るには車で30分程度かかります。ですから、基本的には地域の方はそちらの診療所を受診します。介護老人保健施設も併設されていて、多職種が自然に連携できていました。私はそこで、これまで見てきた都会での診療との大きな違いを感じました。さらに、そこで働く方々は地元の方が多く、患者さん、利用者さんに会うのはそこで初めてではないこともあり、人情的に患者さん一人ひとりにとって、どうするのがよいのかを考える姿勢が根本的にあったのだと思います。こうした多職種連携や患者さんへのアプローチが『常識』となっている状況を肌で感じ、私はこれまで以上に地域医療の在り方について考えるようになりました。
私自身がもともと外科医だったからこそ、さまざまな機器を使いこなし、ハイレベルな手技を習得して、患者さんを救うことの難しさはとてもよく分かります。一方で、へき地医療では、大学病院のような最新の設備が整っていることは少なく、専門の先生にすぐに相談できる状況でもありません。そうしたなかで、総合診療医があらゆることをこなさなくてはならなかったのです。これは専門性の高い、ハイレベルな手技を習得するのと同じくらい、あらゆる分野の知識や技術が必要で、当然、それを手に入れるための努力が欠かせないのだということは、自分が総合診療医になってようやく気付いたことです。
総合診療医は、専門性がないから後々困るのではないか、と言われることもありますが、専門医と同様に、学ぶことに終わりはありませんし、総合診療医には総合診療医の奥深さや難しさがあると日々感じています。
当院のひとつの魅力は、都会の地域医療を体験できる点だと思います。揖斐郡北西部地域医療センターの副センター長、菅波祐太先生の言葉をお借りすれば、総合診療医の仕事は、専門医がやらない部分全てです。当院の近くには、当院よりも病床数の多い病院がいくつもあります。そのような環境のなかで、当院の特徴は「専門医の先生たちがやらないことをやる」ことなのではないかと思っています。医師からすれば手術をした方がよいと思う疾患だったとしても、患者さんが拒めば、手術はできません。そのとき患者さんが考えていること、感じていることにまずは共感し、何がその人にとっての最善となるのかを一緒に考える。これが当院に求められていることなのではないかと思います。
「地域医療のススメ」を選んでくださった方々には、地域医療の楽しさや奥深さを存分に実感してもらいたいです。総合診療医への道を選ぶとき、そして選んでからも、本当に総合診療でいいのか、と悩む方もきっといると思います。実は以前、医学部の学生さんと総合診療についてお話しする機会がありました。その際、私が総合診療の道を選ぶときには、自身のロールモデルになるような方が身近にいなかったという話をしたところ、それを聞いた学生さんから「先生がロールモデルになったらいいのではないか」ということを言われ、ドキッとしました。それがきっかけで、これからは、私自身がそういう気持ちで頑張らないと、と思うようになりました。もし私がもう一度医学生だった頃に戻るとすれば、今度は初めから総合診療の道を選ぶと断言できます。それほど、地域医療、総合診療は興味深くやりがいのある分野だと感じています。
今、こんな風に総合診療医に転向してよかったと思えるのは、地域医療振興協会を通じて出会った先生方やスタッフ、患者さんのおかげです。
地域医療や総合診療に興味のある方は、ぜひ勇気を出して一歩を踏み出してみてください。きっと、これまでとは違った側面の医療に出会えると思います。