総合内科的視点の習得で、内科医としての安定した土台作りを
練馬光が丘病院 副病院長新井 雅裕
同窓会の仲間の助けや、知人の協力を得て、念願の社団法人を設立。
ここで初めて「地域医療振興協会」の名が誕生しました。
自らの力で主体的に地域医療の諸問題を解決できるネットワークの構築を目指し「地域医療振興協会」が設立されました。
へき地の施設運営、研修の機能を併せ持ち、医師確保や突然の勤務変更にも対応できる組織です。
中尾喜久自治医科大学学長(当時)が会長に就任しました。時を同じくして、吉新通康も理事長となりました。ここから、本格的に協会が動き出します。
自身が創設に奮起した自治医科大学の卒業生が、今度は日本の地域医療に貢献できるよう、その活躍の場を広げます。
医療計画により始まったベッド規制。しかし我々には、地域医療の振興のために自身の病院を開院したいという思いがありました。平成4年7月に自治医科大学の債務保証のもと石岡第一病院の譲渡を受け病院運営を始めます。
そして、茨城県石岡市にて、悲願であった直営病院石岡第一病院を開院。
長年、思い描いていた地域医療を展開します。この時、吉野 淨や小池宏明が大きく貢献しました。
髙久史麿自治医科大学学長(当時)が協会の3代目会長として就任しました。髙久史麿は会長・中尾喜久とともに自治医科大学創設に尽力。そして中尾会長の意志を継ぎ、協会の発展に大きく寄与していきます。
協会が運営する施設は72施設まで増え、大きな成長を遂げました。しかしまだ全国のへき地へ、あまねく医療を届けられていません。協会の真の理念を実現するためには、プライマリ・ケアを担う人材の育成と、協会全体、日本の医療全体をリードする人材の育成が不可欠です。
これからも地域医療をより推進するため、離島・へき地へ貢献していきます。