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INTERVIEW

指導医インタビュー

枠組みにとらわれない、ジェネラルな外科医の育成を目指して

東京ベイ・浦安市川医療センター 外科 部長窪田 忠夫

このページに掲載されている情報は2019年12月25日取材当時のものです

東京ベイ・浦安市川医療センター 外科 部長

窪田 忠夫

1997年に東京慈恵会医科大学を卒業したのち、沖縄県立中部病院で初期研修および外科の後期研修を修了し、そのまま同院に2年間所属。国立循環器病センター、千葉西総合病院での勤務を経て、沖縄県立北部病院で、一般外科、初期および後期研修教育を経験。2012年には、東京ベイ・浦安市川医療センターの立ち上げメンバーとして関わった。立ち上げ当初から現在に至るまで、外科プログラムディレクターとして、ジェネラルな外科の教育に力を入れている。


一度入学した大学を中退して医学部へ

私が医師を目指し始めたのは、4年制の大学を中退した後のことです。当時の日本は経済が好調で、私と同年代の人々は大学を出てさえいれば、就職に困ることはありませんでした。そうした環境から、私は大学に入った時点では自身の将来についてほとんど考えていませんでした。さらに、いざ大学に入学したものの、講義も休みがちで、3年目には大学を中退することになりました。
そこで初めて、将来について考えざるを得ない状況になり、自分はどうしたいのだろうかと考えたとき、自分の好きなことを仕事に生かしたいと思ったのです。幼い頃から手作業が好きだったので、板前や寿司職人になることを考えました。しかし、そのような職業は、中学卒業後すぐに弟子入りをして技術を磨いていくイメージがあったので、目指すには遅すぎると感じました。そうしたなかで、医師であれば、もともと修練のスタートが遅く、手術は手作業でもあるため、医師、それも外科医を目指してみようと思ったのです。
今振り返れば、何かを始めるタイミングに、遅いということはない気がしますし、苦労されて崇高な動機を持って医師になった方からすれば、私の経緯と動機は褒められたものではないかもしれません。それでも、こうして私は同年代の方々からは5年ほど遅れて、東京慈恵会医科大学へ入学し、医師になるための第一歩を踏み出しました。卒業後は、沖縄県立中部病院(以下、中部病院)に研修医として4年間、さらに勤務医として2年間所属しました。

母の介護によるキャリアの中断が、医師教育に力を入れるきっかけに

当初、私の思い描いていたプランは、一般外科を学んだ後に、小児心臓外科に進むというものでした。そのため、勤務医として中部病院に所属した後は、国立循環器病研究センターの門を叩きました。当然、周囲は私より若い医師ばかりでした。技術は見て盗めというスタイルの研修で、技術を教えてもらおうと声をかけても、「それは自分で勉強することではないか」と一蹴されてしまうこともありました。また、聞けば皆、心臓外科の医局に所属しており、後期研修修了後には大学に戻るというのです。
心臓外科を数年経験してきているほかの後期研修医たちに対して、心臓外科が初めてなうえに医局というバックグラウンドを持たなかった私は、日々、研修についていくのに必死でした。そして、その日々につらさも感じ始めていました。
ちょうどこの頃、母のがんが再発して診療が必要となりました。そこで私は、母を診ながら仕事ができるよう、地元の千葉にある千葉西総合病院に移りました。それまでは「自分が何をしたいのか?」が勤務先を選ぶ際に重視するポイントでした。しかし、この頃から、サブスペシャリティーを極めていくようなキャリアアッププランを、自分の中で想像することが難しくなり、医師として働き、家族を支えることそのものが、働く意義に変わっていました。
次の転機が訪れたのは、それから7年が経ったときのことです。母を看取ったのち、縁があり沖縄県立北部病院で一般外科医をしていましたが、ある日、町淳二先生(東京ベイ・浦安市川医療センター 外科/JADECOM研修アドバイザー)から電話がありました。お話を伺ってみると、「これから立ち上げる東京ベイ・浦安市川医療センター(以下、東京ベイ)で、未来の医療を担う医師の育成にも力を入れていきたいので、力を貸してくれないか」ということでした。私がかつて勤務していた中部病院では、米国式の研修を取り入れ、ジェネラリストの育成を目標としていたため、東京ベイが理想とする方向性とマッチしたのでしょう。
私はその頃、「医師として自分には何ができるのか?」を考えるようになっていました。いわゆる神の手と呼ばれるような、特別な手術は何もできない自分を必要とする場所があるのならば、その場所こそ自分が働くべき場所なのではないかと思えたのです。すでに40歳を越えており、自分自身の外科医としてのスキルアップを求めるより、これからの若手医師の成長を手伝ったほうが、医療へ貢献できるのではないかとも考えました。
こうして私は、東京ベイの外科研修プログラムディレクターとして、医師教育に力を入れていくこととなったのです。

『ジェネラルな外科医』の育成が研修の軸

東京ベイでは、後期研修医のための3年間の外科専門研修と2年間のフェロー研修のほか、最短3か月からの短期研修も実施しています。そのいずれの研修にも共通している軸が『ジェネラルな外科医』の育成です。
東京ベイの外科は、消化器から呼吸器、血管など、脳と心臓を除く外科領域の診療を一手に引き受けます。その道のスペシャリストを育てるのではなく、臓器にかかわらず、さまざまな分野の疾患に対応できる外科医の養成を目指しています。さらには、サブスペシャリティーに分かれる人的、経済的な余裕がない地方の病院でも活躍できる外科医を育てることを目的としています。
ジェネラルな外科医を目指している方にはもちろん、サブスペシャリティーを学ぶ前に外科医として一通り学んでおきたいという方にもおすすめできる研修です。

早い段階から手術を経験することで、手術手技の習得を目指す

東京ベイの外科研修における魅力は、大きく分けて二つあると考えています。そのうちの一つが、前述したジェネラルな外科医としてさまざまな症例について一通りの経験を積めること。そして、もう一つの魅力が、執刀医として多くの手術を経験できるということです。
例外もありますが、基本的に東京ベイで行われる外科手術は、全てレジデント(専攻医)またはフェロー(サブスペシャリティー研修医)が執刀医となり、指導医は責任者として指導助手(Teaching Assistant)を担当します。当然、患者さんの安全性と教育のバランスを考える必要がありますから、それぞれの年次と技量によって、担当できる手術を設定していますが、どの手術を誰が執刀するかを決める裁量権も、指導医ではなくチーフレジデントに委ねています。こうした教育方法は、米国の外科研修システムにならっています。

Six Competenciesの修得を前提とした研修プログラム

これまでの日本の外科教育は、まさに職人気質の『見て盗め』方式で、成果としてもっとも求められるのも、手術の技量に偏っていたように思います。東京ベイでの外科研修は原則的に米国臨床研修で用いている Six Competencies(修得すべき6つの能力)を重要視しています。これを達成するために、毎日、朝と夕方にさまざまなテーマのカンファレンスを行っています。具体的には、教育的あるいは珍しい症例を扱う『ケースカンファレンス』や非常にポピュラーな外科の教科書をチャプターごとに解説する『テキストスタディー』、米国人指導医を招いて英語で行われる『M&M(mortality, morbidity:死亡例、合併症例)カンファレンス』、米国腫瘍内科専門医を招いて行う『腫瘍カンファレンス』があります。また、これ以外にも、他科との合同カンファレンスなどを実施しています。加えて、日々行われる回診で重要視しているのは、エビデンスに基づいたディスカッションであること、そして、行われる治療はグローバルスタンダードであるということです。
レジデントとフェローは年に2回、プログラムディレクターと面談し、各自の研修が予定通りに進んでいるかを確認します。また年度末には、レジデントやフェローが指導医から評価を受けることはもちろん、指導医もレジデントやフェローから評価を受けることで、研修の改善につなげています。

地域医療振興協会のプログラムだからこそ得られる、地方の病院での経験

東京ベイは都市部にあり、大病院ではないものの、さまざまなリソースに恵まれています。東京ベイの外科研修では、米国や欧州で医師として働く場合にも、周囲と比較して、知識や技量に引け目を感じることのないレベルを目指しています。一方で、都市部では救急医療が充実しているため、骨折のファーストエイドや有害動物刺傷など外科的マイナーエマージェンシーをファーストタッチで学ぶ機会に乏しい現状があります。こうしたなかで、地域医療振興協会には地方に多数の中・小規模病院があり、地域で頑張っておられる外科指導医が多数います。こうした病院を専攻医プログラムでローテーションをすることによって、都市部の病院では修得できない内容を補完することができます。また同じ疾患への処置でも、限られた医療資源のなかでどのような処置をするのがベストなのかを学ぶ、よい機会ともなります。都市部と地方の病院の違いを実感することも、とてもよい経験になるのではないでしょうか。

教育とは、相手を前進させるために行うもの

私が、若手医師を教育する現場において大切にしている考え方は、「教育とは、相手を前進させるために行うもの」ということです。そのような考え方に至った背景には、中部病院で指導医として後輩を指導したときの出来事があります。
私が中部病院で勤務した最後の年に、初めて『指導医評価』が実施されました。私は、指導には十分な労力と時間を割いていたという自負がありましたが、なんと、私の指導医としての評価は、ほぼ『最低』だったのです。そしてその結果を受け、自身の指導を振り返ったとき、私は、相手にどのようになって欲しいかを押し付けてしまっていたのだと気づいたのです。仮に、私がこうあるべきだと押し付けた理想が100%正しかったとしても、相手がその理想を受け入れ、近づくために努力に移せるような指導でなければ意味がありません。
医師はそれぞれ『達成すべき目標』や『あるべき自分像』を持っており、それを達成する方法として研修があります。指導者は、自身が目標とする医師像ではなく、指導をする相手が目標とする医師像をできる限り理解し、どうしたらそこに近づけるのかを手助けするべきなのではないかと思います。

自分がありたい姿を貫いてほしい

新専門医制度が始まったこの状況で、今ある枠組みのなかで、どういう医師になりたいかを考える方も多いと思います。しかし、今ある枠組みに当てはめて考える必要はありません。自分自身がありたい姿を貫くこと、それに向かって努力することこそが、もっとも重要なことだと私は考えます。私が医師になったばかりの頃、総合内科や総合診療科は専門性がなく、通用しないだろうといわれていました。しかし、今では総合内科や総合診療科を設けている病院は数多くあります。これから先、制度がどうなっていくか、医療の世界がどう変化していくかは誰にも分かりません。だからこそ、純粋に自分がやりたいことを突き詰める、ということが大切なのだと思います。
自分がなりたい外科医の姿を思い浮かべ、少しでも地域医療振興協会の、そして東京ベイの研修に興味を持ってくださった方がいたら、ぜひ一歩を踏み出してください。勇気を持って踏み出したその背中を押せるよう、全力で皆さんと向き合っていきたいと思っています。