総合内科的視点の習得で、内科医としての安定した土台作りを
練馬光が丘病院 副病院長新井 雅裕
指導医インタビュー
このページに掲載されている情報は2019年06月30日取材当時のものです
地域医療研究所アドバイザー
玉井 杏奈浜松医科大学在学中、看護補助のアルバイト経験から患者さんの生活に寄り添える医師を目指す。ハワイ留学で理想となる家庭医と出会い、自身も家庭医の道へ。医学部卒業後、手稲渓仁会病院の総合内科で初期研修を受けながらUSMLEを取得。その後、ハワイで家庭医・老年医として5年間研修する。帰国後は地域医療振興協会が運営する台東区立台東病院に勤める。2019年現在、フランクフルトで子育て生活を送りながら、地域医療振興協会のアドバイザーとしての職務を果たしている。
私は学生のころ、生物学が好みで、なかでも人体に興味がありました。将来は人の役に立ちたいと考えていたこともあり、医師への道に進むことを決意。そして、浜松医科大学に入学しました。
医師になる前に、勉学に尽力するだけではなく、医師とは違う角度から患者さんをみつめたいと考えた私は、医学部1、2年生の間、大学の付近にある総合病院で看護補助としてアルバイトをすることに。パーキンソン病や脳梗塞、ALSなどの、体が満足に動かせない患者さんが多くいらっしゃる神経内科の病棟に配属され、患者さんの食事やトイレの介助を担当していました。
日々病気により生活に支障をきたしている患者さんを目の当たりにして、次第に私は「患者さんの生活に寄り添い、cure(問題解決)よりも、 care(問題に付随する状況の改善)に重きを置く、全科診療ができる医師」を志すようになりました。
医学部5年生のある日のことです。学生課を歩いていると、1つのチラシが目に入りました。そのチラシは、ハワイ大学が主催する、医学生向けのハワイ大学医学部体験学習プログラムでした。
私はこのプログラムに参加することを決め、ハワイへ飛び立ちました。
2週間のプログラムのなかで、家庭医としてハワイで診療されている渡慶次仁一先生とお会いしました。渡慶次先生は、患者さんやご家族のことを深く理解されていて、臨床スキルのみならず人間性においても信頼を集める、高名な先生です。ハワイ大学の学生からも「渡慶次先生の下につくと勉強になる」と評判で、評判通りの渡慶次先生の診療スタイルに、私は大きく感銘を受けました。
2週間のプログラムを終え、帰国。医学部6年生となった私は、再び渡慶次先生のもとで、1か月間の実習をさせていただくことに。渡慶次先生のそばで研修しているうちに、先生についていきたい、先生のように患者さんに寄り添う医師になりたいと強く感じ、家庭医になることを決意します。
その後、医学部を卒業した私は、研修医として3年間、札幌にある手稲渓仁会病院の総合内科で研鑽を積みながらUSMLE(米国医師免許試験)に挑み、アメリカの医師免許を取得。医師4年目には、再びハワイへ飛びました。
私が配属された診療所は、ハワイの中でも特に移民が多く、多言語・多文化な地域にありました。そうした地域で診療をしていると、薬物依存症の患者さんや極端な肥満体型の患者さん、エイズ末期の患者さんなど、日本ではお会いすることのないような、多様な患者さんに出会いました。
私自身の常識とはまったく異なる価値観を持つ患者さんもたくさんおり、自分では「こうした医療を提供するべき」と思っても、患者さんの意向と食い違うこともあります。では、どのような医療を提供するべきか、ということを考察することが刺激的でしたし、毎日が挑戦の繰り返しでした。そうした経験から、自分自身の対応力や柔軟性が身につき、患者さんが望む医療を汲み取り、提供する努力をするようになったと感じています。
それから、言葉選びの重要性を学びました。疾患の末期にある高齢者の患者さんと、今後について考える機会がありました。その方は複雑な家庭環境でご家族のサポートが望めない方で、通訳の方を介しながら、1つ1つ問題点を洗い出し、慎重に物事を運ばなければなりませんでした。
そうした複雑なケースの場合、当時の私の話し方では、患者さんはなかなか首を縦に振ってくださいませんでした。しかし、こうした複雑なケースと長年向き合ってきた看護師さんや、ソーシャルワーカーさんが話をすると、患者さんは納得し、事態が丸く収まりました。
こうした経験から、言葉の力を身に染みて感じ、患者さんと話すときには、一人ひとりにあわせた言葉選びを心掛けています。
ハワイの診療所に勤めているときに、地域医療振興協会の交換研修プログラムで来た研修医のお世話をする機会があり、そのときに初めて地域医療振興協会という団体を知りました。帰国後の勤務先を検討する中で、地域医療振興協会の藤谷茂樹先生とお会いし、お話を聞くことに。
藤谷先生とお会いすると、先生は「紹介したい病院がある」とおっしゃり、地域医療振興協会の運営施設である、都内の台東区立台東病院に連れて行ってくださいました。
「この病院、私に合うかも。ここで働きたい!」
私はすぐにそう感じ、2013年より台東病院に赴任しました。
都心にある台東病院ですが、浅草の江戸っ子文化が根強く残る地域にあり、とても地域の特徴が感じられる病院です。
この地域には、職人さんが多く住まわれていて、1階が店舗、2階以上が暮らしのスペースという、マッチ箱を立てたような縦長の建物が多くあります。そうした建物の多くには急な階段があり、高齢者の方であれば、その階段の上り下りが難しいという問題が発生します。
また、この地域は銭湯文化が根付いており、ご自宅にお風呂がないご家庭も多く存在します。ご高齢となり家から出ることが難しくなられた方々は、入浴ができないという問題も発生します。
このように、地域の文化や風習にまつわる問題が多く、これらの問題をどうやってクリアしていくかを、台東病院では多職種の方々を交えて考えています。私は、こうした部分で、多種多様な文化を見てきたハワイでの経験を活かせたと感じました。そのため、後進の方には、ぜひ積極的に多種多様な文化に触れてほしいと考えています。
台東病院に勤め始めてから5年後、夫の赴任でフランクフルトに引っ越すため、日本を離れるとともに台東病院を退職しました。
現在、私はフランクフルトで暮らしながら、地域医療振興協会のアドバイザーをしています。たとえば、「地域医療のススメ」の研修医のイベントのお手伝いをしたり、海外の交流事業の取りまとめなどを担ったりしています。
地域医療振興協会は、家事の時間や子どもの保育園の時間など、家庭の都合や時差を考慮してオンラインミーティングの時間を調整してくださいます。私としても、協会にとって新しい働き方のモデルを確立できればと思っています。
帰国した際には、地域医療振興協会の一員として、再び臨床を続けたいと考えています。今後も多様な方々が、協会の中で居場所を見つけ、働くことができる団体であってほしいと願っています。
「地域医療のススメ」は、自由度が高いことが大きな魅力です。
「将来どういう医師になりたいか」を明確に掲げている方であれば、その目標により近づきやすくなるように、時期や家庭の事情を考慮しながら自由にプログラムの内容やスケジュールをカスタマイズできます。自由度が高いゆえに、spoon feeding形式で教えを受けたい方には向いていないかもしれません。
「自分はこれをしたい、そのためにこれを学びたい、学ぶためにはこういう行動をしなくてはいけない」と、目標達成のためのロードマップを自力で描ける方に受けていただきたいプログラムです。
それから、オレゴン健康科学大学(OHSU)に短期留学できることも魅力のひとつです。
OHSUは2019年、U.S. News and World Report誌によるBEST GRAD SCHOOLS RANKINGSの家庭医療プログラム部門で、全米ナンバー1を享受した実績のある大学です。
英語環境に身を置くことに抵抗のある方も多いかと思いますが、これまでOHSUに留学した専攻医たちは、英語能力にかかわらず、多くのことを得て帰国していると感じます。ぜひ、多くの人にOHSUに留学していただきたいと思います。
現在私は、夫の赴任や子育てなどの事情で、医師としてのキャリアを中断せざるを得ない状況です。そんな私に、ハワイ大学家庭医療レジデンシーの先輩である、堤美代子先生はこのように言いました。
「家庭医にとって、日常生活の経験はすべて芸の肥やしだよ。」
男女問わず、出産や育児、介護、療養などの理由から、今後医師としてのキャリアを中断される方が皆さんの中にもいらっしゃるかと思います。しかし、家庭医の私たちにとっては、これらの経験は何一つ仕事の無駄にはなりません。
家事・育児の経験や、家族との時間の過ごし方なども含めた日々の経験は、患者さんに寄り添う総合診療、地域医療、家庭医療を行ううえで、大切な経験であるということを家庭医の先生の言葉から気づかされました。
なかでも女性医師は、出産や育児で、男性よりもキャリア中断を経験されることが多いかと思います。しかし、患者さんがつわりや育児のことで困っているときに、本で得た知識以外に、経験者として寄り添ったアドバイスができることも事実です。
ですから、今後キャリアを中断することになっても、肩を落とす必要はありません。日常生活からヒントを探し出し、cureよりもcareに重きを置く、患者さんの生活に寄り添える医師を、私たちと一緒に目指しましょう!