「先生がいてくれてよかった」という言葉が明日の原動力
地域医療振興協会 女川町地域医療センター
管理者(兼)センター長齋藤 充
父の故郷、女川町を救うために地域医療に飛び込んだ
今野友貴先生のストーリー
このページに掲載されている情報は2018年12月07日取材当時のものです
地域医療振興協会 女川町地域医療センター
今野 友貴弘前大学医学部卒業後、同大学の小児科に入局。附属病院小児科の循環器グループに所属し、主に先天性心疾患や染色体異常を持つ子どもたちの診療を担当。2011年に発生した東日本大震災をきっかけに、父の故郷である女川町にある女川町地域医療センターへ赴任。小児科と内科を兼任しながら地域医療に尽力する。
私が医師になりたいと思ったのは、小学6年生のときです。テレビなどで発展途上国の子どもたちが飢えや病気に苦しんでいる現実を知り、「私が助けたい」と思ったことがきっかけでした。また当時、シュバイツアー博士やマザーテレサの伝記を読んでいたこともあり、私もこのような生き方をしたいと思ったことも、医師を目指す気持ちを後押ししました。
医師になるため、私は青森県弘前市にある弘前大学医学部に進学し、卒業後は同大学の小児科に入局しました。そして、医学部附属病院で小児科の循環器グループに所属し、主に先天性心疾患や染色体異常を持つ子どもたちを診療していました。
大学病院に入院している子どもたちには重症な子が多くいます。親御さんと離れて長期間の入院生活をせざるを得なかったり、兄弟姉妹ともなかなか会うことができなかったりする子どもたちもたくさんいました。
そのような子どもたちの中に、先天性の染色体異常と心疾患で生まれたときからずっと入院生活をしていたお子さんがいました。そのお子さんは、自宅で家族と一緒に過ごしたことがないまま、2歳になって肝がんを発症されました。すると、ご家族からこのようなご依頼を受けました。
「少しでもお兄ちゃんたちと一緒に過ごさせてあげることはできませんか?」と。
そのお子さんは、人工呼吸器を装着している状態で、当時はそのような状態で自宅退院した事例はありませんでした。しかし、なんとか人工呼吸器を付けたまま自宅で過ごすことができ、ご家族に囲まれながら最期を迎えることができました。
この経験を通して実感したことは、医師をはじめ、医療従事者はあくまでも「黒子」のような存在であり、患者さんがよりよい人生を過ごせるよう医療面からサポートしているに過ぎない、ということ。そしてそれが望ましい医師のあり方なのだということを、身をもって知ることができました。
小児科で働く医師や看護師は、子どもたちにとって怖い処置や、つらい治療が、「成功体験」として終わるように心がけています。それは予防接種ひとつにしても同じです。
その結果、たとえば予防接種を受けた子どもたちが、「できたよ!」「(実際には泣いていても)泣かなかったよ!」と自信を持って話してくれるとき、またそれを家族に自慢げに話している姿をみたときには、とても嬉しい気持ちになります。
2019年現在は、女川町地域医療センターで小児科と内科を兼務しています。大学病院で小児科医をしていた私が、女川町で地域医療に携わることとなったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災がきっかけです。
女川町は私の父の実家があったところで、幼い頃からなじみの深い土地でした。そして、震災によって祖父母や親戚の家は流され、叔母やいとこたちも行方不明となりました。
「大好きだった女川町のために、何か私ができることはないか…」と思考を巡らせるも、小児科医の私が子どもの少ない町でどのくらい貢献できるかは不明でした。
ただ、女川町の人口流出が続く中で、
「子どもたちがいなくなってしまったら、町が衰退してしまう。常勤の小児科医がいることが、子どもたちを中心とする人口流出の抑止力になるのではないか」と思ったのです。
また、ちょうど大学病院で働く中で、いつかは町のお医者さんとして働きたい、と考え始めていたところでもありました。「いつか」やるなら、「今が」町のお医者さんになるときだと思い、女川町に来ることを決断しました。
よくいわれることかもしれませんが、「誰のための医学か、誰のための医療か」をいつも考えてほしいと思っています。
医師の側からみると、「病気を治すこと」が患者さんにとってもっとも重要な課題だと思うこともあるかもしれません。しかし患者さんの側からみると、そうとも言い切れません。
むしろ、病気のことは病院の外に一歩出たら忘れてしまうことのほうが多いと思います。
現実世界とかけ離れたアドバイスは、時に患者さんを苦しめ、追い詰めます。医師である私たちは、患者さんが「どのような人生を歩んできたのか、どのような人生を全うしたいと思っているのか、何を大切にして生きているのか」を考える必要があります。そして、それが自分とは違った考え方だとしても、その考えに寄り添いながら、あくまで「黒子」に徹することができる医師になってほしいと思います。
小児科は、「やりたいと思ったけど、かわいそうで見ていられない」と敬遠されることも多くあります。しかし医師が逃げても患者さんがいなくなるわけではありません。
「助けなければならない命があるから」−これが今まで私が医師を続けてこられた理由です。私がこれまで健康で生きてこられた分を、助けが必要な患者さんに返していくために、私はこれからも医師であり続けます。