目の前にある、助けなければならない命のために
地域医療振興協会 女川町地域医療センター今野 友貴
“地域に溶け込む”体験をしながら地域医療の可能性を追い求める 望月崇絋先生のストーリー
このページに掲載されている情報は2017年09月20日取材当時のものです
地域医療振興協会 地域医療研究所 OHSU(Oregon Health&Science University) Family Medicine Research Fellow
望月 崇絋2008年4月より総合診療科医師としてキャリアをはじめる。同年12月には異例のスピードで山北診療所 所長に抜擢。地域医療に従事し活躍後、東京北医療センター救急科での勤務を経て、2017年10月よりオレゴン健康科学大学に留学中。
私は東京都と神奈川県で生まれ育ちました。子どものときからスポーツが好きだった私は、当時開催されていたサッカーのワールドカップや長野オリンピックに影響を受け「スポーツドクターになりたい!」という思いで医師を志すようになりました。そして千葉大学の医学部に入学しました。
スポーツドクターを目指し進学した私ですが、医学生として医療を多角的に学んでいくうちに「自分の選択肢を絞らず、いろいろなことを勉強したい!」という気持ちが徐々に芽生えていきました。そのようななか、転機は突然やってきました。茨城県牛久市の病院での研修中、ひょんなことから宮古島にある在宅医療専門のクリニックに2か月間研修に行くことになったのです。この宮古島で、私は初めて地域医療に出会います。
私が研修を行っていたクリニックは在宅医療専門でしたので、患者さんに病院へ足を運んでもらうのではなく、私たち医師が患者さんのご自宅へ赴き診療を行います。地域医療の役割のひとつである在宅医療を経験するなかで、私は大きく2つのことに魅力を感じました。
1つめは病院での診療以上に患者さんに合わせた治療を行いやすいということです。在宅医療では病院内での診療と大きく異なり、実際の患者さんの生活環境に入り込むので、多くの言葉を交わさなくても患者さんの暮らしぶりがわかります。そのため、それぞれの患者さんの生活形態、暮らしぶりを私自身の目でみて、治療や生活指導を行うことができます。
2つめは観光のお客様としてではなく、地域に入っていけるということです。特に私はこの点に強く魅かれました。医師として一人の住人として、文化も習慣も踏まえて仕事をすることで、本当の意味でその地を訪れたといえるのではないかと考えました。このように深く人々と関わりながらさまざまな地を巡りたいと思い、地域医療を目指すことにしました。
また地域の患者さんの「看取り」を経験したことも、私が地域医療・在宅医療に魅力を感じるきっかけのひとつとなりました。在宅医療を受けている患者さんは、総じて平穏な人生の最期を迎えていらっしゃいました。やはり住み慣れたご自宅で最期を迎えられることは、患者さんにとってはとても幸せなことなのかもしれません。
ご家族の方とともに患者さんの最期を見届ける瞬間、不思議と達成感に似た感情に包まれました。おそらく、患者さんの希望を叶えてあげられたことに対する満足感から来たものだと思います。もちろん病院勤務のときにも「看取り」には立ち会ってきました。しかし、宮古島での「看取り」と、病院勤務の「看取り」とでは、感じる気持ちが全く異なることに気づいたのです。
宮古島で体験した「在宅医療」は、まさに私のターニングポイントとなりました。
研修後、地域医療の魅力にすっかり取り憑かれた私は地域医療振興協会に入職しました。地域医療振興協会の「いついかなる時でも医療を受けられる安心を、すべての地域の方々にお届けしたい」という信念に共感し、協会に入職することで医療に困っている地域を支援するお手伝いができれば、と考えたからです。
神奈川県足柄上郡にある山北町立山北診療所の所長に任命されたのは、入職して間もない頃のことです。懇親会が行われ、そのときに吉新理事長から「新規で診療所を開設するが、興味はないか」と声をかけていただきました。そのとき私はあまり深く考えずに興味を持ち、「行ってみたい」と返事をしました。実をいえば当時の私は初期研修が終わって3か月しか経っておらず、まさか若手の私が今すぐに診療所の開設に携わることはないだろうとタカをくくっていたのです。
しかし、その予想は外れ、ついこの前まで初期研修をしていた私は、その半年後には山北診療所の所長を務めることになります。なんと懇親会後、すぐに吉新理事長から新設する診療所の所長に任命されたのです。こうして私の山北診療所での勤務がスタートしました。
診療所を新しく開設するには、さまざまな準備が必要です。今までは指示されたことだけを実行する、あるいは指導医の真似をすることが仕事でしたが、所長となったことで一転し、自分で考え、自分で意思決定することが仕事になりました。私は所長として地域の医師会長へのご挨拶やスタッフの採用面接、医療機器の導入など、今まで自分が携わったこともない仕事に果敢に挑戦しました。
当時は右も左もわからない若造でしたから、自分の決断がそのまま実行に移されるというのは、とても不安なものです。しかし、それを言い訳にするわけにはいきません。
与えられた職責を全うするため、地域に溶け込む努力だけは忘れてはいけないと思いました。
山北診療所のある神奈川県足柄上郡では、お茶やみかんの生産が盛んに行われており、農業に携わっている患者さんが多くいらっしゃいました。ですから、診療の際は患者さんと天気や作物の状態など農業について話をすることが多かったです。
そして実際に私自身も畑を借りて農業に挑戦しました。鍬(くわ)の持ち方も肥料の蒔き方もわからない私に、農業のプロである患者さんがさまざまなことを教えてくださいました。その他にも地域のお祭りやゴルフコンペに参加したり、住民のみなさんのお宅に招かれて一緒にお酒を飲んだり、気がつくとすっかり地域に溶け込んでいました。
山北診療所では私を所長として頼ってくださる患者さんもいらっしゃいましたが、まだまだ若い私を自分の子どもや孫のように可愛がってくださる患者さんもいらっしゃって、地域のみなさんには本当に優しく接していただきました。
山北診療所での勤務を経験するうちに、地域医療のさらなる可能性を探りたいと思うようになりました。「より緊密な連携をすることで、より効率的に地域医療を実施することができる」
そんなことを考えていた矢先、地域医療振興協会からアメリカ留学のチャンスをいただきました。これから2年間、私はアメリカのオレゴン州にあるオレゴン健康科学大学(OHSU:Oregon Health&Science University)で、PBRN(Practice Based Research Network)という多施設で行う臨床研究ネットワークについて勉強する予定です。
多施設で連携して研究するという仕組みは日本ではあまり発達していません。しかし、各施設が独力ですべての研究を行うより、多施設で連携して研究することには当然ながらメリットが多く、アメリカではこのシステムを活用し、効率的な研究が行われています。
このPBRNのシステムは、地域医療にも応用できます。それぞれの診療所が個別にデータを保管するより、みんなで管理し、情報を共有すれば診療所単位のクオリティは向上するはずです。私たち地域医療振興協会はたくさんの診療所を運営しているので、このやり方は活かせるはずだと考えています。
高齢化が進む地域の診療所の臨床データは、うまく活用すれば高齢化社会にも役立つと思っています。アメリカで学んだことを地域医療振興協会に持ち帰ることで、日本の地域医療の効率化を図り、ひいては高齢化社会における地域医療の意義を広めていきたいと考えています。
医師のいない地域に一人で赴き、患者さんの健康を預かるという覚悟は、容易なことではないと思います。しかし地域の患者さん一人ひとりと深く関わり、患者さんにじっくりと向き合えることは医師冥利に尽きることだと思いますし、医師としてのやりがいを大きく満たしてくれるものではないでしょうか。
高齢化社会において地域医療はますます重要になっていきます。しかし、限られた医療資源。それを有効に活用していけるような仕組みもまだまだ必要でしょう。日本の津々浦々に充実した医療を届けるには、診療所単位での活躍と、診療所同士をつなぐシステムの存在が重要です。私はこの地域医療振興協会でその2つを追求していきたいと考えています。
専門領域を定め、それをとことん極めるのもひとつの医療の道であると思います。しかし、医療の道はそれだけではありません。地域医療でしか味わうことのできない“地域に溶け込む”体験をより多くの医師に体験していただきたいと思います。