2019年度 OHSU地域医療視察研修 研修記
2019/06/01~06/08Oregon Health & Science University
場所:沖縄県離島へき地各所
実施日:2017/10/13
このページに掲載されている情報は2017/10/13取材当時のものです
沖縄県の離島・へき地医療は、全国の地域医療のモデルとして時代の潮流のなかにあります。
2017年現在、沖縄県の離島診療所は20カ所あり、基本的には医師一人体制であらゆる疾患の診療を行います。しかし医師が一人であるからといって、実際には医師だけで医療を支えることはできません。継続的に医療を行うためには、住民と行政と医療者が三位一体となる必要があります。現在、そして未来はどうなっていくのか。沖縄の離島・へき地で活躍する、崎原永作先生、深谷幸雄先生、並木宏文先生、垣花一慶先生、そして公立久米島病院看護部長である津波(つは)勝代さんに話をお伺いしました。
垣花一慶先生(国頭村立東部へき地診療所 所長)
並木宏文先生(与那国町診療所 所長)
与那国島では、島内の連携だけではなく、石垣島や沖縄本島の後方病院(例:県立八重山病院)との連携もスムーズに行われています。これらの連携は医療関係者だけでは作り出した医療連携ではなく、島民の理解と協力、島外の方のご支援が作り出している助け合いの連携です。今回は島内の連携を紹介します。島では診療所と行政が積極的に連携を行うだけではなく、住民の方も積極的に連携を行なってくれます。例えば、酸素ボンベを使用している患者さんの入院移動の場合、医療者や患者さんの家族だけではなく、親戚・知人、隣人そして様々な職種の方が関与してくれます。医療とは関係のない職域の方が、その職域を超えて地域の困りごとを進んで引き受けてくださる姿には、この地域への強い想いを感じます。他の地域でも同様だと思いますが、与那国島にも「島のために」というゆいまーるの心(助け合いの心)が息づいているのです。我々医療者はこの連携に加わり、時に先導して、協働することで離島への貢献を目指しています。
崎原永作先生(竹富町立黒島診療所長、沖縄地域医療支援センター長)
沖縄県の遠隔医療支援として5つの県立病院と16の県立付属病院に「ファーストクラス」という電子掲示板によるコンサルテーションシステムが導入されています。このシステムは1993年(平成5年)に(公財)地域社会振興財団より長寿社会づくりソフト事業費交付金「地域医療技術向上推進事業」に「パソコン通信を中心とした離島医療支援医療情報ネットワークの確立に関する研究」が採用された事がきっかけで誕生しました。
研究事業のスキームは筆者のいる沖縄県立中部病院にサーバーコンピュータを置き、5つの離島に設置したパソコンと繋いで、電子掲示板を使った情報共有・コンサルテーションの場をつくるというものでした。そして2年間の運用実績をもって、平成7年当時の総務省と厚生省の補助金を活用し、全県レベルの離島医療情報支援システムの土台が出来上がりました。このシステムは現在も続いていて、現在では遠隔テレビ会議システムも加わり、離島医療での遠隔コミュニケーションを大きく変えました。しかしながら、このシステムは県立病院・県立診療所内に止まっており、町村立の離島診療所とはまだ繋がっていません。1日も早く、町村立の離島診療所を加えた真の全県レベルの離島医療情報支援ネットワークになることを期待しています。
並木宏文先生(与那国町診療所 所長)
与那国町診療所ではポケットエコー(例:Miruco 日本シグマックス社)を活用しています。これにより、これまで医師が診断目的で利用していたエコーを看護師が有効的に活用できるようになりました。用途に応じて手軽に使用できるポケットエコーの導入によって、看護師のケア向上だけでなく、患者さんと医療者のコミュニケーションが以前よりも活発になりました。幸い、この活動は住民や行政にも広く受け入れられました。今後もテクノロジーの適切な活用を行い、人と人とのつながりを基軸とした活動を目指していきたいと思います。
並木宏文先生(与那国町診療所 所長)
私はこれまでにも生活場所や仕事場所などに直接足をはこび, 現場にある様々な問題そして不安への対応を行ってきました. その活動の一例として、与那国島の文化活動に関与した活動も行っています。与那国島には、「与那国織」という500年の歴史を持つ伝統工芸があり、現在でも20名以上が作業に従事しています。ある時、作業で起こった肩こりや腰痛のためにこの作業を続けられなくなった、という声を聞きました。私はその後、診療所や町役場の方とも相談を行い、与那国島外の療法士と連携し, 島の伝統工芸である与那国織の従事者に対して, 安全で体を痛めない作業姿勢や休憩時のセルフケア体操などの現場サポートを行いました。だいぶ楽になった、これで作業が続けられそう、という声が出ただけではなく、結果として住民の方に受け入れられ、間接的にも地域の文化活動をサポートし、貢献できました。
公立久米島病院 津波(つは)勝代看護部長
公立久米島病院(以下、久米島病院という)では、離島での勤務を希望する看護師を募集するために、「アイランダー」という全国の島々が集まるイベントに参加しています。これは国土交通省が主催し、毎年東京で行われており、それぞれの島が自然、歴史、文化、生活などをアピールするイベントです。
2016年のアイランダーでは、私たちは三味線を弾いて踊りながら久米島のPRを行うとともに看護師募集を呼びかけました。久米島病院では、久米島を知ってもらったうえで来てほしいとの思いから、毎年アイランダーに参加して島の魅力を伝えています。
崎原永作先生(竹富町立黒島診療所 所長、沖縄地域医療支援センター 理事・センター長)
離島・へき地医療に興味のある医師は多いものの、実際の現場における医師不足は深刻な問題となっています。医師を確保することが困難である背景に、医師一人体制の診療所では研修や学会に行ったり、休暇を取ったりすることが難しいという理由があります。そこで地域医療振興協会・沖縄県へき地医療支援機構が主導し、「ゆいまーるプロジェクト」を立ち上げ、ホームページ上で全国から沖縄の離島・へき地医療に興味を持つ医師を募集する取り組みを始めました。
ゆいまーるプロジェクトは、離島・へき地の医療機関での勤務に関心のある医師の勤務医、代診医、専門医などの勤務希望と医療機関の事情をマッチングさせる登録制のシステムです。
沖縄の離島・へき地には、医師としてやりがいを感じられる環境が整っています。何らかの形で関わっていただくことで、自身のキャリアにおいてきっと得るものがあるはずです。
深谷幸雄先生(公立久米島病院 病院長)
久米島では、頻繁にやってくる台風の影響などで、船の運航がストップすることがあります。そのため、たびたび食料や医薬品といった必要な物資が届かないという大きな問題が起きてしまいます。これは久米島に限ったことではなく、物流面での不便さは離島であれば避けられないことです。また久米島ではレントゲン技師と薬剤師がそれぞれ一人ずつしかいません。医師や看護師の確保ももちろん大切ですが、今後はコメディカルの充実にも力を入れていきたいと考えています。
公立久米島病院 津波 勝代看護部長
離島に赴任してまず大きな課題だと感じたのは、離島での看護教育です。離島では実習施設が少ないことや立地の問題から研修費用がかかるため、本土の病院に比べると学びの機会が少ないという現状がありました。そこで離島でも専門職として学ぶことができるような仕組みを整え、院内研修や院外研修(県内・県外)をスタート。そして2014年にはテレビ会議システムを導入し、沖縄県立看護大学大学院の講義を久米島病院で受けられるようになりました。離島の看護教育の環境は20年前と比べると飛躍的に改善されたといえるでしょう。
深谷幸雄先生(公立久米島病院 病院長)
久米島に赴任する以前に働いていた西表島の大原診療所では、医師一人体制でしたので、研修を受けたいと思ってもなかなか受けられませんでした。もし自分が研修を受けるために島を出るとなると、代診を依頼しなければならないからです。しかし、代診を頼んででも、そしてたった一日だけでも、研修を受けるのは非常に大切だと考えます。私自身、沖縄県南部にある豊見城(とみしろ)中央病院へ研修に行き、膠原病や糖尿病について学んだことで診療の不安が解消されたという経験があります。現在久米島では、沖縄本島から専門医を派遣していただいています。その先生に日頃の診療で悩みを相談したり、お互いに意見交換を行ったりすることが良い学びの機会となっています。
崎原永作先生(竹富町立黒島診療所 所長、沖縄地域医療支援センター 理事・センター長)
地域にただ一人の医師として、住民と信頼関係を築きながら医療を行うという経験はかけがえのないものです。また、患者さんにエネルギーをもらえるのも沖縄の離島・へき地医療のいいところかもしれません。月に一度、巡回診療で東京からいらっしゃってくださる先生のなかには「自分を待っていてくれる患者さんに、月に一度会うだけでこんなにも医師としてやりがいが感じられるなんて幸せです」とおっしゃって、継続して支援に来てくださる先生もいます。
医療資源に限りのある離島・へき地での医療ですが、その地域で必要とされている医療に貢献できることは大きなやりがいでしょう。
垣花一慶先生(国頭村立東部へき地診療所 所長)
離島やへき地で働く医師のなかには、その後のキャリアを心配する先生もいらっしゃるかもしれませんが、地域医療自体は医師として力が落ちるわけではなく、むしろ大きい病院とは違った経験がたくさんできるはずです。そして何より地域のみなさんと密にかかわる時間は特別なものです。都会と比べると不便なこともありますが、個性豊かな地域のみなさんとの出会いによって私の人生は豊かになりました。
私にとっての地域医療のやりがいは「患者さんの人生の一部に密に関われること」。これからも患者さんの人生にそっと寄り添うような、この地域を見守るような存在として医療に取り組んでいきたいと考えます。
公立久米島病院 津波 勝代看護部長
今年の初め空腹を訴え久米島病院を訪ねてきた方がいらっしゃいました。どうしてこのようなことが起こったのか原因を調べてみると、日頃は配食サービスを利用しているが、年末年始や大型連休中など、配食サービスが休みの期間、食事に困っている方がいることがわかりました。そこで、「住み慣れた島で暮らすことを支える」ために、そのような方たちを支援するための仕組みを考案中です。患者さんの生活の背景を知り、支えることは看護の基本です。今後もどのような方法で地域へ貢献できるのかを考えていきたいです。
垣花一慶先生(国頭村立東部へき地診療所 所長)
離島やへき地で働いて気づいたのは、怪我や病気の治療をとおして目の前の患者さんを助けるということだけが医療ではないということです。たとえば独居の高齢者の方のなかには、今まで当たり前に取り組んできた農業ができなくなると、怪我や病気をしなくても、気持ちが沈んでしまい、元気がなくなってしまいます。私はこのような方を元気にすることも医療であると思っています。今後は地域のみなさんが、「健康に生きてみようかな」と自ら前向きになっていただけるような取り組みを医療者の立場から行っていきたいと考えています。
また、私が診療する地域の課題として、「看取り」がほとんど行われていないことが挙げられます。病態が悪くなった患者さんはそのままこの地域を離れて亡くなることが多く、がんなど慢性期の病気の患者さんも基幹病院へと移ってしまうことがほとんどです。そのため「看取り」としての診療所の機能を地域に定着させ、一人でも多くの方に自宅でゆっくりと最期を過ごしていただくことを目指したいです。
深谷幸雄先生(公立久米島病院 病院長)
現在、多くの医師が専門医を目指すなかで、離島では一人であらゆる疾患を診療することができる総合診療医が求められています。
そこで久米島病院では、段階的に離島医療・総合診療医を学んでいただく方法を考えています。
まず久米島病院で1〜2年、総合診療医のトレーニングを行い、その後、一週間ほど離島診療所での勤務を経験します。そして最終的に準備を整えた上で離島診療所での勤務を開始する、という段階を踏んで離島医療・総合診療医の力をつけてもらうという仕組みです。
離島に派遣される医師は、やはりその地域の特性を理解した上でトレーニングを積む必要があります。いきなり一人で離島診療所に行くのではなく、準備期間をしっかり設けることで、より地域のニーズに合致した医療を提供でき、医師にとってもミスマッチがなくなると考えます。
離島やへき地で勤務する医師をサポート
(公社)地域医療振興協会(以下、JADECOMという)は、全国の離島・へき地で医療に取り組む医師をさまざまな形でサポートしてくれます。たとえばオンラインで文献を検索したり、勉強会の映像を見たりして遠隔地でも専門的な知識を身につけられるようなシステム。また、JADECOMが毎月発刊している「月刊地域医学」では、全国のさまざまな地域で医療に取り組んでいる先生方の様子を知ることもできるので、モチベーションの維持に役立っています。さらに代診の依頼もできますし、困ったことがあれば気軽に相談できるため、私のように医師一人の勤務体制であっても安心して働くことができます。